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大工哲弘(初代部長)八重山農林郷土芸能部

2010年09月25日

Posted by ≪京太郎(チョンダラー)才蔵≫ at 20:13 │Comments( 2 ) 日記
              

              郷土芸能部初代部長「大工哲弘」
              八重山農林高等学校(郷土芸能部)

沖縄本島から南西400㎞、八重山諸島の石垣島に日本で一番、南にある農業高校が沖縄県立八重山農林高等学校であります。
沖縄・石垣島に伝わる郷土芸能を受け継ぎ、勉強はもとより歌や舞に励む生徒の場となっているのが郷土芸能クラブです。
郷土芸能クラブの結成は1964年(昭和39)八重山高等学校にはじまり、1966年(昭和41)八重山農林高校、その後1969年(44年)八重山商工高校の順で結成となっています。
八重山農林高校の郷土芸能クラブの、初代部長で活躍されたのが今や世界に、八重山音楽を発信した著名人でもあり、実演者でもある石垣市新川出身の大工哲弘氏です。
島歌をこよなく愛し、その島歌のたのーる漂う歌姿には共感者が多いといわれています。
琉球民謡音楽協会師範、野村流伝統音楽協会教師免許、1998年には沖縄県無形文化財(八重山古典民謡)保持者に指定されました。
県、内外と海外公演にも出演、現在までに数十カ国の海外公演を実現、成功させています。
さらに、ジャンルは違えども世界の音楽家との共演活動、民謡の普及、若手の育成にも日々力を注いでいるのが、八重山民謡の第一人者として地位を築いている大工哲弘せんせいです。
八重山農林高校郷土芸能クラブ結成から数え、実に44年、確実に八重山農林高校郷土芸能クラブは進化を遂げていると言っても過言ではないとおもいます。
昨年の国立劇場大会出場、そして今年の宮崎県で行われた「第34回全国高等学校総合文化祭(全国高総文祭みやざき2010)」に出場、しかし、入賞には至らなかったが、
故郷に誇りを持ち、厳しい練習に耐え熱演を繰り広げた生徒たちには悔しさを見ることはなかったですね。
八重山農林高校の伝統と言われている、大会後の会場の外での歌と踊り、それを見た青森県立田子高校の生徒、一度乗り込んでいた「バス」からわざわざ降り駆けつけてきた。
それは、勝者、敗者の関係ではなく、歌と踊りが結びつけた一つの「結い」だと考えて、良いのではないでしょうか。
それが友情というものに私は感じました。大会後の生徒達の笑顔も皆、清々しい感じでしたね。
生徒のみなさん本当にお疲れ様でした。「けんやくん」も、いい仲間をもって良かったですね、けんやくんの分まで皆、頑張ったとおもいますよ。
山根よりこ先生大変御苦労さまでした。
途中指導者の欠けた中、15分間の戦いにみんなの力の結集があったからこそ、いまの笑顔があることでしょう。
『新城君、泰地君、かおるちゃん、明日香ちゃん、あずさちゃん』
(賞は)逃したけど、でもこの仲間が最高だなって思う気持ち素晴らしい事じゃありませんか、大会を振り返って、いろんな気持ちが出たものとおもいます。
きっと、初代部長である大工哲弘先生も、皆さんと同じ気持ちでいることとおもいますよ。
八重山農林高校郷土芸能クラブ初代部長、大工哲弘氏が築きあげたクラブの明かりを絶やさず、島の唄と踊り(郷土芸能)を自分たちの一つの宝として、勉学はもとよりクラブ活動に励んでもらいたいものですね。
次回の全国高等学校総合文化祭ベスト4を勝ち取り、国立劇場の夢の舞台へ向かって精進することを切望するものであります。

大工哲弘(初代部長)八重山農林郷土芸能部



              八重山古典民謡研究学会会長



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この記事へのコメント
会長様

おはようございます。会長さんが新川出身だということで、
少し懐かしい思いが込み上げてくると思われる動画を
紹介します。昨日、石垣小学校の運動会がありました。
会長様も石小の出身ですよね?その運動会で子供たちが
「ふるさと祭り」というプログラムで豊年祭の行事を再現して
いました。太鼓奉納や獅子舞、ツナヌミンなど。見れば、
きっと懐かしくなるはずです。下にアドレスを記載します。
お楽しみください。

http://stronger102.ti-da.net/e3041383.html

では、失礼します。
Posted by そふぃあ at 2010年09月26日 09:07
そふぃあ様「動画拝見致しました」

卒業以来はじめて、母校の運動会を見ることができました。
運動会といえばやはり、(リレ―)ですね、塾生の子ども達も元気いっぱいに楽しんでいたものと思います。
リレ―に続き、奉納太鼓が特に印象にのこりました。
新川村の奉納太鼓は当時、出たくても簡単に出れるものでは無かった。
なにしろ、主導権は新川部落の四町内(マクタ・マフタナイ・マフタネ―)にありましたから。マフタネ―は、旧石垣市内四箇字の平民の集落と言われる中、たしか新川部落だけで
呼ばれていたと記憶しております。
奉納太鼓に続き、綱ぬ耳(ツナヌミン)戸板に乗った牛若辨慶の戦い、旗頭を囲んでのガーリ、今にでも、画面の中に飛び込み豊年祭の気分を、味わいたい気持ちでいっぱいでした。
 懐かしさあふれる映像、拝見出来た事、大変嬉しく感ずるものであります。
塾の子ども達のご活躍を期待致しております。
Posted by 八重山古典民謡研究学会会長八重山古典民謡研究学会会長 at 2010年09月26日 14:02
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