毎日、毎日、多くの皆さんのご訪問、誠に有り難く感謝いたしております。
これからも宜しく御願いします。
さて、読者のみなさん
今回は、八重山石垣島に古くから伝わる代表的な子守歌、(昼と夜に)歌われていたと言われる子守歌についてご紹介します。
発音の部分はあまり気になさらないで下さい。
昼の子守歌=(こーねま)節(ぶし) 夜の子守歌=(月(ちぅきぅ)ぬ美(かい)しゃー)節(ぶし)
この二つの子守歌は、最初っから節歌ではなくわらべ唄に属していたのが、いつの間にか節歌へと変化し今日に至っております。昼の子守歌(こーねま)節 、夜の子守歌(月ぬ美しゃー)節として広く愛され歌い継がれてきたものであると筆者は考える。
八重山古典民謡関係者においては、(昼、夜)の歌に関しては教本(エエ四)に存在するため当然の如く知るものとし、一般におかれては知らぬ人もいるものと考えここに歌詞の一部をご紹介しておくことにする。
〔歌詞〕 昼=(こーねま)節
こーねまぬ名(な)や 何(のー)でどぅ給(たぼー)れーる
祖父(うしゅまい)ぬ名(な)ぬ 松金給(まちぅんがにたぼー)れーる
すっつあらー すっつあらー
松金給(まちぅんがにたぼー)られー
歌の内容
あなたのお名前は何と言うお名前を頂いたの
おじいちゃんの名前の松金の(まちぅんがに)名をを頂いたよ
よっかたね、よっかたね
松金(まちぅんがに)という名を頂いたんだね
おじいちゃんの名を頂いた嬉しさを表現しています。
〔歌詞〕 夜=(月ぬ美しゃー)節
月(ちぅきぅ)ぬ美(かい)しゃー 十日(とぅか)三日(みぅーか)
女(み)童(やらび)美(かい)しゃー 十七(とぅーなな)ちぅ
* 「ホーイ チョ―ガ」
歌の内容
お月様がとっても美しいと言われるのは十三夜のお月様で
娘(女の子)が最も美しく奇麗に見えるのは十七歳の頃ですよと表現しています。
歌の内容表現は云々として
二つの子守歌について私なりの考えを述べてみることにする。
この歌を伝統的な節歌ではないとか、また、ある人は、節歌の系列に属するとか、属ないとか、あるいはただ単なる(子守歌(ふぁーむりぅうた))でしかないとか、疑問であると考える人もいることは確かなことである。また、複雑な旋律の構成であるとか高度な技量を要するうえ、子供をあやしながら歌うことは非常に難しい故、子守歌としてはあまり良くないと指摘される方もいるのは確かであるようだ。しかしながら『月ぬ美しゃー』節はじめ(こーねま)節について問うてみれば、数多くの島人たちが八重山の子守歌といえば『月ぬ美しゃー』節であると答える人びとが数多くいると言うこともまず否定はできないものと考えるところである。
(こーねま)節、に関して言えば昼の子守歌と言われているが筆者から見れば少々、元気のある歌のように聞こえ子どもの寝つきに、時間を要する様にも感ずるものがある。一方(月ぬ美しゃー)節、においては、ゆったりとした流れを持ちさらに癒しさえ感ずるものがあり、この歌こそ、まさしく昼夜を問わず格好の歌ではないかと、それ以外に考えるものはないと言わざるを得ないものである。
今や、生活の中では癒しを求め、食生活においては安心、安全を求め、学校教育の場では食育も求められている今日である。食育もよいことでもあるが(歌育)というものがあってもおかしくはないと考えるのである。
『八重山島人』よ、八重山古典民謡(教師)・(師範)よ、教育委員会始め学校教師よ、
育児を抱える主婦よ、・・・・・・・。
いまこそ八重山の先人が生み出した、この子守歌を教本の中だけに留めることなく、八重山石垣島だけに孤立させるのではなく、日本全国に(歌育)はもちろんのこと、八重山のさまざな伝統文化を広める隊員が現れんことを切望するものである。
島を訪れる観光客の減少をくい止めるうえからも受け身ではなく、これからは攻撃の立場で日本、海外へと八重山の文化の一つである八重山芸能を発信すると同時に、孤立した八重山芸能にするのではなく、日本全国、海外をも巻き込んだ数多くの大会を開いてみてはどうかとも考える。
『八重山人』よ私は提案する。
(こーねま)節と(月ぬ美しゃー)節の、どの歌が癒し系で子どもの寝付けに最適か、可能であれば是が非でも八重山(三高校・郷土芸能クラブ)による科学的検証始めて頂き実験結果を学会において発表したいものである。
さらに、石垣市民、竹富町、与那国町民、伝統文化担当者、八重山古典民謡関係者
三高校・郷土芸能クラブの共同参加のもとに伝統文化の発掘と発信にも努めてもらいたものである。
ふざけた話の様で読むに値しないとお叱りを受けることは承知のうえではあるが、とりあえずここで一つ筆者は提案したい、これまで述べてきた子守歌を検証し『八重山島人』による寝つきの良い子守歌とは、なにかを議論し全国47都道府県を対象にした大会を石垣市民会館において
第一回都道府県対抗石垣島子守歌大会なるものを開催されてみてはどうかとも考えるところである。笑ごとのようにも思えるだろうが物事と言うものは、批判することだけに留まらず、一にも、二にも、まず実行することが先決であろうと考えるのである。失敗は成功のもと、八重山人よ勇気を持って常に前向きに、後ろを振り向くことなく前進せよ、これからの八重山の将来を背負って立つ子どもたちのためにも、挑戦してもらいたいものである。それが、これからの石垣市、竹富町、与那国町と一市二町の観光発展の起爆剤となりうることであろうと筆者は考える。
立ち上がれ八重山人よ 八重山人よ意地を見せよ
未来の子ども達のため 八重山島人の結いのせいしんで
八重山の大地に島に美しい大輪の花を咲かせてみよ
先人が歴史の中で築き残した
八重山の伝統文化を
全世界に島人の力でもって、鳴り響かせよ、 八重山人よ
走れ、明日に向かって
鷲の鳥のように 羽ばたけ、八重山の空に向かって飛び立て
三線大学八重山古典民謡学会会長
これからも宜しく御願いします。
さて、読者のみなさん
今回は、八重山石垣島に古くから伝わる代表的な子守歌、(昼と夜に)歌われていたと言われる子守歌についてご紹介します。
発音の部分はあまり気になさらないで下さい。
昼の子守歌=(こーねま)節(ぶし) 夜の子守歌=(月(ちぅきぅ)ぬ美(かい)しゃー)節(ぶし)
この二つの子守歌は、最初っから節歌ではなくわらべ唄に属していたのが、いつの間にか節歌へと変化し今日に至っております。昼の子守歌(こーねま)節 、夜の子守歌(月ぬ美しゃー)節として広く愛され歌い継がれてきたものであると筆者は考える。
八重山古典民謡関係者においては、(昼、夜)の歌に関しては教本(エエ四)に存在するため当然の如く知るものとし、一般におかれては知らぬ人もいるものと考えここに歌詞の一部をご紹介しておくことにする。
〔歌詞〕 昼=(こーねま)節
こーねまぬ名(な)や 何(のー)でどぅ給(たぼー)れーる
祖父(うしゅまい)ぬ名(な)ぬ 松金給(まちぅんがにたぼー)れーる
すっつあらー すっつあらー
松金給(まちぅんがにたぼー)られー
歌の内容
あなたのお名前は何と言うお名前を頂いたの
おじいちゃんの名前の松金の(まちぅんがに)名をを頂いたよ
よっかたね、よっかたね
松金(まちぅんがに)という名を頂いたんだね
おじいちゃんの名を頂いた嬉しさを表現しています。
〔歌詞〕 夜=(月ぬ美しゃー)節
月(ちぅきぅ)ぬ美(かい)しゃー 十日(とぅか)三日(みぅーか)
女(み)童(やらび)美(かい)しゃー 十七(とぅーなな)ちぅ
* 「ホーイ チョ―ガ」
歌の内容
お月様がとっても美しいと言われるのは十三夜のお月様で
娘(女の子)が最も美しく奇麗に見えるのは十七歳の頃ですよと表現しています。
歌の内容表現は云々として
二つの子守歌について私なりの考えを述べてみることにする。
この歌を伝統的な節歌ではないとか、また、ある人は、節歌の系列に属するとか、属ないとか、あるいはただ単なる(子守歌(ふぁーむりぅうた))でしかないとか、疑問であると考える人もいることは確かなことである。また、複雑な旋律の構成であるとか高度な技量を要するうえ、子供をあやしながら歌うことは非常に難しい故、子守歌としてはあまり良くないと指摘される方もいるのは確かであるようだ。しかしながら『月ぬ美しゃー』節はじめ(こーねま)節について問うてみれば、数多くの島人たちが八重山の子守歌といえば『月ぬ美しゃー』節であると答える人びとが数多くいると言うこともまず否定はできないものと考えるところである。
(こーねま)節、に関して言えば昼の子守歌と言われているが筆者から見れば少々、元気のある歌のように聞こえ子どもの寝つきに、時間を要する様にも感ずるものがある。一方(月ぬ美しゃー)節、においては、ゆったりとした流れを持ちさらに癒しさえ感ずるものがあり、この歌こそ、まさしく昼夜を問わず格好の歌ではないかと、それ以外に考えるものはないと言わざるを得ないものである。
今や、生活の中では癒しを求め、食生活においては安心、安全を求め、学校教育の場では食育も求められている今日である。食育もよいことでもあるが(歌育)というものがあってもおかしくはないと考えるのである。
『八重山島人』よ、八重山古典民謡(教師)・(師範)よ、教育委員会始め学校教師よ、
育児を抱える主婦よ、・・・・・・・。
いまこそ八重山の先人が生み出した、この子守歌を教本の中だけに留めることなく、八重山石垣島だけに孤立させるのではなく、日本全国に(歌育)はもちろんのこと、八重山のさまざな伝統文化を広める隊員が現れんことを切望するものである。
島を訪れる観光客の減少をくい止めるうえからも受け身ではなく、これからは攻撃の立場で日本、海外へと八重山の文化の一つである八重山芸能を発信すると同時に、孤立した八重山芸能にするのではなく、日本全国、海外をも巻き込んだ数多くの大会を開いてみてはどうかとも考える。
『八重山人』よ私は提案する。
(こーねま)節と(月ぬ美しゃー)節の、どの歌が癒し系で子どもの寝付けに最適か、可能であれば是が非でも八重山(三高校・郷土芸能クラブ)による科学的検証始めて頂き実験結果を学会において発表したいものである。
さらに、石垣市民、竹富町、与那国町民、伝統文化担当者、八重山古典民謡関係者
三高校・郷土芸能クラブの共同参加のもとに伝統文化の発掘と発信にも努めてもらいたものである。
ふざけた話の様で読むに値しないとお叱りを受けることは承知のうえではあるが、とりあえずここで一つ筆者は提案したい、これまで述べてきた子守歌を検証し『八重山島人』による寝つきの良い子守歌とは、なにかを議論し全国47都道府県を対象にした大会を石垣市民会館において
第一回都道府県対抗石垣島子守歌大会なるものを開催されてみてはどうかとも考えるところである。笑ごとのようにも思えるだろうが物事と言うものは、批判することだけに留まらず、一にも、二にも、まず実行することが先決であろうと考えるのである。失敗は成功のもと、八重山人よ勇気を持って常に前向きに、後ろを振り向くことなく前進せよ、これからの八重山の将来を背負って立つ子どもたちのためにも、挑戦してもらいたいものである。それが、これからの石垣市、竹富町、与那国町と一市二町の観光発展の起爆剤となりうることであろうと筆者は考える。
立ち上がれ八重山人よ 八重山人よ意地を見せよ
未来の子ども達のため 八重山島人の結いのせいしんで
八重山の大地に島に美しい大輪の花を咲かせてみよ
先人が歴史の中で築き残した
八重山の伝統文化を
全世界に島人の力でもって、鳴り響かせよ、 八重山人よ
走れ、明日に向かって
鷲の鳥のように 羽ばたけ、八重山の空に向かって飛び立て
三線大学八重山古典民謡学会会長