読者のみなさんこんにちは
きょう、長年お付き合いをして居る友人から連絡がありました。何かと聞いたら実話といった。
何が実話なんだと聞くとまたも実話と言う、この実話とは私にお願いをする上での実話。
ということで彼の願いを聞いてあげることにした。
実話、実話じゃなくとも『とぅばらーま』の由来でも自分なりに少し書いてみたらと電話であった。、内容はくだらないと思われてもいいんじゃない君は君なりの考えで書いて、カッコよくなくてもいいから、カッコよさで判断したらだめだ勇気を持って書くことだといはれ投稿を決意しました。
そこで私は友人に言い返した。自分でくだらないと思うことを書くぐらいなら
『自分の背中』でも掻いて寝るがましと、いうと彼は、同じ書くにも背中をかくとは何事だと言いつつも互いに電話口で大声を出し笑い飛ばす中、彼の願いを引受け三線大学八重山古典民謡学会からの(第一回新説発表)として受け入れ投稿することにした。
読者のみなさん
私が書いたものがこれまでの「諸説」に真っ向から対抗するという意思のもとで書かれたものでは、ないということをご理解頂きたい。最後まで読んで下さいますようお願い申し上げます。
素晴らしいコメント、私自身の喜ぶコメントをお待ち致しております。
決して傷つけるようなコメントだけは避けて下さるようお願いします。
新説『とぅばらーま』の由来について(第一回三線大学新説発表)
これまで、私は『とぅばらーま』の由来について議論されたと言う話をあまり聞いたことはありません。そこで今日は私なりに説いてみました。
諸説は「殿子」説 「殿原」説の二説と言われています。説の説明は省略します。
先に、「とぅばらーま」の歌詞の内容に少し触れてみたいと思います。
恋がうまくいかず、どうしようもなく嘆く様子の歌あり。
恋が実らず別れた人を恨む様子の歌あり。
遠くにいる愛する人に自分の思いをどうにかして伝えたいと言った様子の歌。などから考えて見ると当時の恋愛はどのような所で自分の思いを伝えていたのだろうかと私なりに考えた場所、それはおそらく、だだっ広い草原というか「野」とでも言おうか、「原」っぱと、でも言おうか、当然のごとく集落、外で、人目を避ける意味でもできるだけ『遠方』遠くへ遠くへと場所を選んだに違いないものと思われる。
静けさが漂い月の明かりを頼りに二人が出会う満月の夜の情景がいまにも目に浮かび飛び込んでくるような思いを感ずるのである。ここで上文の中からいくつかの文字を取り出し、こぎつけではあるが私なりの『とぅばらーま』説を説いてみる。
次の三文字の組み合わせから説いてみたい
遠=野=原
遠野原=(トオノハラ)=(トゥヌハラ)=(トゥヌバラ)
(トゥヌバル)=(トゥバル)
遠野原がなまり(トゥバル)に変化し、愛称語である(ま)がつき(トゥバルマ)さらに変化し(トゥバラマ)=(トゥバラ一マ)節になったのではないかと思われるのである。(三線大学新入生)
三線大学八重山古典民謡学会会長
きょう、長年お付き合いをして居る友人から連絡がありました。何かと聞いたら実話といった。
何が実話なんだと聞くとまたも実話と言う、この実話とは私にお願いをする上での実話。
ということで彼の願いを聞いてあげることにした。
実話、実話じゃなくとも『とぅばらーま』の由来でも自分なりに少し書いてみたらと電話であった。、内容はくだらないと思われてもいいんじゃない君は君なりの考えで書いて、カッコよくなくてもいいから、カッコよさで判断したらだめだ勇気を持って書くことだといはれ投稿を決意しました。
そこで私は友人に言い返した。自分でくだらないと思うことを書くぐらいなら
『自分の背中』でも掻いて寝るがましと、いうと彼は、同じ書くにも背中をかくとは何事だと言いつつも互いに電話口で大声を出し笑い飛ばす中、彼の願いを引受け三線大学八重山古典民謡学会からの(第一回新説発表)として受け入れ投稿することにした。
読者のみなさん
私が書いたものがこれまでの「諸説」に真っ向から対抗するという意思のもとで書かれたものでは、ないということをご理解頂きたい。最後まで読んで下さいますようお願い申し上げます。
素晴らしいコメント、私自身の喜ぶコメントをお待ち致しております。
決して傷つけるようなコメントだけは避けて下さるようお願いします。
新説『とぅばらーま』の由来について(第一回三線大学新説発表)
これまで、私は『とぅばらーま』の由来について議論されたと言う話をあまり聞いたことはありません。そこで今日は私なりに説いてみました。
諸説は「殿子」説 「殿原」説の二説と言われています。説の説明は省略します。
先に、「とぅばらーま」の歌詞の内容に少し触れてみたいと思います。
恋がうまくいかず、どうしようもなく嘆く様子の歌あり。
恋が実らず別れた人を恨む様子の歌あり。
遠くにいる愛する人に自分の思いをどうにかして伝えたいと言った様子の歌。などから考えて見ると当時の恋愛はどのような所で自分の思いを伝えていたのだろうかと私なりに考えた場所、それはおそらく、だだっ広い草原というか「野」とでも言おうか、「原」っぱと、でも言おうか、当然のごとく集落、外で、人目を避ける意味でもできるだけ『遠方』遠くへ遠くへと場所を選んだに違いないものと思われる。
静けさが漂い月の明かりを頼りに二人が出会う満月の夜の情景がいまにも目に浮かび飛び込んでくるような思いを感ずるのである。ここで上文の中からいくつかの文字を取り出し、こぎつけではあるが私なりの『とぅばらーま』説を説いてみる。
次の三文字の組み合わせから説いてみたい
遠=野=原
遠野原=(トオノハラ)=(トゥヌハラ)=(トゥヌバラ)
(トゥヌバル)=(トゥバル)
遠野原がなまり(トゥバル)に変化し、愛称語である(ま)がつき(トゥバルマ)さらに変化し(トゥバラマ)=(トゥバラ一マ)節になったのではないかと思われるのである。(三線大学新入生)
三線大学八重山古典民謡学会会長