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八重山歌『鷲ぬ鳥節』・光と影

2010年10月28日

Posted by ≪京太郎(チョンダラー)才蔵≫ at 15:06 │Comments( 0 ) 八重山古典民謡
             八重山歌『鷲ぬ鳥節』・光と影

沖縄本島から南西へ410km、八重山諸島に民謡の宝庫といわれる
石垣島がある。
太陽の光、草花の匂い、風の音、潮風の香り、鳥の声など、南国の
自然の刺激に囲まれた石垣島には、歴史上の事実、民族、天体、
生物等を謡ったものが多いといわれている。

このような小さな島から大きな女詩人、大音楽家によって八重山
に生息する生物を詩題に生まれた、八重山を代表する歌に
『鷲ぬ鳥節』がある。

古謡『鷲ゆんた』を基に三線伴奏付きの節歌となり、現在では
お正月の弾き始めには真っ先に演奏される曲となった『鷲ぬ鳥節』
の歴史的背景に触れてみることにする。

『鷲ぬ鳥節』は後述するとして、はじめに原歌と言われる
『鷲ゆんた』の誕生の歴史的背景の略述を読者の皆さんも想像を
膨らませ、それぞれに感じ取ってほしいものである。

はじめに『鷲ゆんた』は、ある神日撰(カンピュウリ-・俗に神の
天降り)の日に与那国御嶽(石垣市大川)に参詣のところ、境内に
生える「大アコウ樹」の枝に鷲の巣を発見され、人に物言うように
親鷲に向い早く雛を育てて、飛びゆくようにと御嶽に参詣する度に
合掌して、祈ったと言われておる。

また、翌年のお正月の元旦に、親鷲が雛鳥と共に羽ばたきして、
飛び立って、東方目掛けて威勢よく飛んでいくのを見たといわ
れている。

宝暦12年(1762)、日もあろうに正月の誇らしい元旦に、即興詩と
なって生まれた『鷲ゆんた』は、神社の境内の静けさを振るわせ
ながら謡いだされたといわれている。
これが小さな島から生まれた大きな女詩人「仲間サカイ(与那国御嶽
初代司)」の『鷲ゆんた』の誕生であると云われている。

歴史は遡り、天保13年(1842)大川村に謡われている、自然の刺激を
受けた美しさが見える『鷲ゆんた』に魅了され、大音楽家と言われて
いた大宜見信智(新川与人)が、もっと雄大にと『鷲ゆんた』を改作
され、これが現在歌われている『鷲ぬ鳥節』の誕生の始まりであると、
喜舎場永洵は自身の著書(八重山民謡誌・仲間加那対談)を基に
書き記している。

前述のとおり、即興詩となって生まれた『鷲ゆんた』は、人それぞれに
解釈の違いはあるものの筆者にとっては、まるで夢のように現実に
あってもない、女詩人サカイ独自の世界から生まれた、創造性豊かな
自然美にとんだ詩の様で、一方『鷲ぬ鳥節』には雄大さの中に一入
人工の美を感ずるものがある。

當山善堂氏は著書『精選八重山古典民謡集(一)』の中で、アコウの
大樹に巣を構えた親鷲が美しい羽の生え揃った若鷲と連れ立って、
元日の早朝に太陽の光を浴び東の空に勢いよく飛び立っていく様が
力強く描かれている。

雛鷲の誕生と成長を叙事的に描きながら、我が子の健やかな成長を願う
親の気持ちが抒情豊かに描写されているように思うと書き記している。
まさしく自然の美と人工の美の合体で生まれた詩のようだ。

ところで、女詩人サカイは元来、一種異なった神秘的能力の持主の女で
あったとも言われている。
神の託宣を受けたり、あるいは遠隔の所にある物の透視を的中したり、
明和の大津波を予言するなど、霊感的女性であったとも言われている。

このように一種異なった神秘的な能力も、『鷲ゆんた』の誕生に
多大な影響を及ぼしたかどうかは定かでは無きにしも、自然界の生物を
象徴的に捉えるさまは、実にすばらしいものがあると考える。

沖縄の二代女流といわれる「恩納ナビー」、「吉屋チルー」をも越える
詩ではないかとも考える。 

自然の刺激に囲まれた小さな島から大きな女詩人が産出したことは、
八重山人にとっても大きな誇りであると筆者は考える。
歴史的背景の考察においては、「時代観」を始め詩の表現に詩人の
心になりきって解すべきであるともいわれている。

この場合、「『鷲ぬ鳥節』に表現される鳥(鷲)」に、ついては
動物生態学上、確かに相反するものがあると現に論争される方々、
過去に、された方々も多々いるものと考える。

ここではあえて、重箱の底を隅々まで突っつくような、光と影の
細かい分析、議論は別に置くものとする。今や、八重山音楽は
他府県にまで広がりをみせ、幅広い年齢層に関心を持たれ修得に
挑戦する方々が増えつつあるようである。

現実に即することなく象徴的で雄大さあふれる『鷲の鳥節』が、
このように日本全国に広がり愛され広く歌われていることに筆者は
誇りを感ずるものである。

たとえ、『鷲ぬ鳥節』が動物生態学上に相反するものとしたとしても、
女詩人サカイの心になりきり、象徴的な歌ととらえ理解するとともに
歌い続けていくことが、八重山が産出した偉大な女詩人仲間サカイに
対する思いやりの精神だと筆者は考える。

誰の心にも郷土の音楽に心に響く歌、愛する歌があると考える。

結論として、この『鷲ぬ鳥節』が女詩人仲間サカイに始まり、
大音楽家大宜見信智が実を結んだことは、間違いないとしながらも
『鷲ぬ鳥節』には、光と影の存在が見え隠れ幾多の問題が内包され、
謎に満ちあふれているのは確かである。

喜舎場永洵は「八重山民謡誌」仲間加那翁対談で発見した『鷲ゆんた』、
大宜見信智改作『鷲ぬ鳥節』についても紹介しているが、そのままに
理解していいのかという問題点を提起したい。



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