京太郎の歌・壮行公演より

≪京太郎(チョンダラー)才蔵≫

2012年03月21日 17:30

『京太郎(チョンダラ-)の歌』壮行公演
2012年3月18日(日)那覇市ぶんかテンブス館において早稲田大学沖縄復帰40年国際シンポジウム壮行公演『京太郎・(チョンダラ-)の歌』がおこなわれ大盛況に終わりました。
ご覧頂けなかった方々のためにも京太郎(遊行芸能者)『京太郎・(チョンダラ-)の歌』を知ってもらいたく解説をのせておくことにします。
中世、日本の門付芸人(遊行芸能者)が最後に行き着いた地は、沖縄と言われています。彼らは京太郎と呼ばれ、正月や節目の行事には千秋万歳の祝詞を歌い、お盆や年忌、葬式においては念仏を唱えていたと言はれている。この度の『京太郎(チョンダラ-)の歌』の公演は「エイサ-」に見られる白塗りの道化役のことではありません。
京太郎が沖縄芸能文化にもたらした足跡を見て頂くために、万歳、鳥刺し舞をはじめ、駒舞、人形舞わし、念仏歌を含め沖縄芸能に足跡を残したと見られる京太郎芸を解説、実演を行いました。
さて、現代において我が沖縄では組踊りや琉球舞踊、琉球古典音楽、沖縄民謡等が、沖縄芸能として華やかに演じられています。
しかし、それらの芸能以前には京太郎芸があったものと思われる。
つまりは、沖縄芸能のその物が京太郎芸がもたらした一つの形として現れ、一つのまとまった沖縄伝統芸能が作り上げられ形づくられ、沖縄芸能の自立に京太郎の芸能があったとことはまちがないないでしょう。
長い年月の中沖縄の地に独特の芸能として発展してきた物だと考えてもいいでしょう。エイサ-の発展同様、世界へと活動範囲を広げているエイサ-も『京太郎芸能』の影響を受け、沖縄芸能エイサ-を自立させた主体の一つの芸能ではないでしょうか。これもまさに京太郎芸の生命力の強さの現れではないでしょうか。この度の講演(公演)で終わることなく、「京太郎芸を演じる一人として」これからも次世代に残る芸能として伝承継承に努めていきたいと思います。
早稲田大学・沖縄復帰40年記念国際シンポジウム壮行公演にご来場いただきました皆々様、ありがとうございました。
来る3月29日早稲田大学講演・30日追加記念東京公演があります。詳細はまたあとでご報告いたします。

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