読者のみなさんお待たせ致しました。
座談会を終えいま三線大学に戻ったところです。今日の座談会の話題のひとつ『創作誕生秘話』八重山の代表的な舞踊『鷲ぬ鳥節』をご紹介させて頂きます。
ハイカジおじさんこと(故・宮良高演)作
創作舞踊 鷲(ばしぅ)ぬ鳥(とぅりぅ)節(ぶし)
鷲の鳥節(ハイカジ流)
舞台芸能では石垣地区の舞踊の師匠であった、ハイカジおじさんこと故・宮良高演氏の創作舞踊が多数演じられた。鷲の鳥節では卵から雛がかえる様子が再現されるなど、通常とは異なる独特な踊りが印象的であった。
創作舞踊 『鷲ぬ鳥節』の背景をいざなう。
ハイカジおじさんこと(故・宮良高演)以下 【高演】とさせて頂きます。
当時で語るならば『高演』は八重山石垣市石垣地区の出身です。幼少のころから隠れた芸能の才能があったと石垣地区で評判であったそうだ。
家族思いで、仕事熱心で、そのうえ真面目で人からお願いされれば断ることをあまり上手ではなかったとのこと、それだけに『高演』がやさしい性格の持ち主であったと言う
ことでしょう。
その性格の優しい『高演』の優雅でしかも(高演独特)な創作舞踊・鷲ぬ鳥節、いまにでも卵から雛がかえり東の方向に飛んでいく発想はどこから生まれたのかご紹介します。これからお話しすることは主人公である『高演』と共演された方々また、『高演』の関係者より、聞き取りを行ったことも交えお話します。
毎日の野良仕事の中ちょうどその日は雨だったそうです。
もちろん雨が降れば仕事はできません、運悪くその雨は昼の雨で如何することもできず。
仕方なく畑小屋で雨のやむのを待っていた高演は周囲のあまりにの静けさと優しい雨音に誘われるかのように眠りについたそうだ。眠りから目覚めた『高演』は帰り支度をすませ畑小屋を出ようとしたその時だ。畑小屋の近くの、でいごの木(方言=あかようら)にいつもは見かけない一羽のカラスが羽を休めていたそうだ。不思議に思った高演は、しばしの間カラスを見つめていたらどこからともなく、もう一羽のカラスがやってきたそうだ。
警戒心の強いカラス、不思議と立ち去る様子もなく、『高演』もまた、不思議に思いながらも持ち前の観察力を発揮し足を止め時間の過ぎ去ることも、忘れるかのように二羽のカラスのしぐさに釘付けになったそうだ。
二羽のカラスがいまにでも私たちにも踊りを作ってよと言わんばかりのしぐさだったとも高演は周囲に話していたそうだ。
そのしぐさとは、二羽のカラスが恋人同士のように寄り添い、羽をこすり互いの口ばしをこすりあわすと言うか、くつっけあうとでもいうか、まるでキスをしていようにも見えたという『高演』又、卵をつっつき雛をかえす様にも、きっと『高演』の目には映ったんでしょう。
これが『高演』にとって創作の上でのひらめきは、二羽のカラスであったと言うことを
聞かされたときは、ハイカジおじさんこと(故・宮良高演)の偉大さにただ頭の下がる思いと驚きです。
その外にも多数の創作舞踊が有ることがわかりました。月夜浜節もそうです。
読者のみなさんも八重山古典民謡、創作秘話、雑学その他に関することがありましたら是非教えて下さい。
きょうは ここまで読者のみなさん長い時間待たせてごめんなさいね
三線大学八重山古典民謡学会を応援よろしくお願いします。